モノは全てレンタル?! 執着を減らす考え方
最近、物欲があまりありません。
便利な街に住んでいる割に、買い物にはほとんど出かけない私。それを周りの人に話すと、
「お店が沢山あるのにもったいない!」
とよく言われます。
でも、
- 人混みが嫌い
- 買う時に吟味しすぎて時間がかかる
という理由で、そもそも買い物自体が好きではないのです。
ファッションにほとんど興味がないため、服のウィンドーショッピングもしません。
昔は雑貨を見て回るのが好きでしたが、ゆるーりミニマリストになってからはそれもなし。
学生時代から
「自分が好きな商品を、誰か家まで持ってきてくれないかなぁ…」
と思っていたので、ネットスーパーや宅配が当たり前の世の中になって、とても暮らしやすいです。
それはともかくとして…
「この世のモノって、究極的には全てレンタルなんじゃないかな?」
と最近思います。
なぜって、死んだら何も持っていけないから。もしかしたらこの体でさえ、死ぬまでのレンタル品なのかもしれません。
地球にだって家賃は払っていないものの、皆で住まわせてもらっています。動物も植物も微生物も、同じ地球に住む住民仲間なんですよね。
私は昔から物事を極端に考える性質で100年先や10,000年先のことを考えることもよくあるため、そんな風に思ったりもします。
「現在所有していると思っているモノは全て、壊れるまで・不要になるまで・死ぬまでのレンタル品である」
という考え方をしてみると、モノへの執着が少し減るかもしれませんね。
もちろん、
「お気に入りのモノを自分の周りに置きたい」
という願望は自然ですし、好きなモノを買うこと自体は素敵だと思います。
ただ、モノに囚われて捨てられず困っている人には、この考え方を是非提案したいです。
モノのために人があるのではなく、人のためにモノがあるのだから。
これは、先日私が自宅から見た夕暮れの風景。
空や雲は私が持っているモノではないですが、それでも充分に楽しむことができます。
心の豊かさは、モノの多さではなく、心の拠り所・余裕の多さによるのでしょうか…?
私もまだまだ修行中の身。
これからも、行動しながら考えを深めていきたいです。
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